『愛さないといわれましても』、面白いですよね!政略結婚から始まる物語ですが、よくある冷酷夫とのすれ違い……かと思いきや、まさかの「餌付け」ラブコメディという展開に、私もすっかりハマってしまいました。
この記事を読んでいるあなたは、「愛さないといわれましても」の核心的なネタバレ、特に主人公アビゲイルの正体や、夫ジェラルドとの関係が最終的にどうなるのか、その結末が気になっているのではないでしょうか。
また、原作小説と漫画版の違い、実家への「ざまぁ」展開はしっかりあるのか、なぜ「ピヨちゃん」と呼ばれるのか、といった具体的な疑問もお持ちかもしれませんね。
この記事では、そうした疑問を解消するために、物語の重要なネタバレを徹底的に解説していきます。
記事のポイント
- アビゲイルの衝撃的な正体と虐待の過去
- ジェラルドの「溺愛」と「餌付け」の真相
- 実家への「ざまぁ」展開の詳細
- 原作小説の最終回・結末
ジャンプできる目次📖
『愛さないといわれましても』ネタバレ解説
まずは物語の根幹となる、主人公アビゲイルの秘密や、夫ジェラルドとの関係性の変化についてのネタバレです。このギャップが本作最大の魅力ですね。物語の前提からして、普通のラブコメとは一線を画しています。
アビゲイルの正体は元魔王だった
本作最大のネタバレであり、物語の根幹となる設定です。主人公アビゲイルの正体は……なんと「元魔王」です。
彼女は、かつて魔王だった存在が、何らかの理由で伯爵令嬢として転生(あるいはそれに近い現象)した人物でした。なぜ魔王が人間に、しかも伯爵令嬢として生まれたのか、その明確な理由は作中で詳しく語られてはいませんが、この設定こそが物語のすべてを動かしています。
「魔王的思考」と「人間の情緒」
物語の冒頭、夫のジェラルドから「愛さない」と宣言されても、「それって……ごはんはいただけないということですか!?」と心配するアビゲイル。このズレた言動は、単に虐待されて育ったからだけではなかったんですね。
彼女の思考回路のベースが人間ではなく、そもそも「魔王的思考」だったことが、この作品をユニークなコメディにしている大きな要因です。
魔王だった頃の彼女は、人間の持つ「愛情」や「悪意」といった複雑な情緒を理解できませんでした。彼女にとって重要なのは、あくまで「生存」や「リソース(食事)」といった具体的な事象だったわけです。
この「情緒の欠如」が、後のジェラルドとのすれ違いコメディを生む源泉となっています。
ひどい虐待と「金瞳の魔物」の秘密
アビゲイルが実家で「ごはん」に異常な執着を見せるようになった背景には、彼女の正体と密接に関わる、壮絶な過去があります。
彼女は魔王の特徴である「金色の瞳」を持って生まれてきました。その異質な外見ゆえに、領民からは「金瞳の魔物」と呼ばれ、忌み嫌われていました。
そして、実家では想像を絶する迫害・虐待を受けて育ちます。
虐待がコメディになる理由
しかし、本作がそうならなかったのは、前述の通りアビゲイルが「元魔王」だったからです。
彼女は、実家からの仕打ちを人間的な「苦痛」や「悪意」としてまともに認識できていませんでした(あるいは、しませんでした)。この「情緒の欠如」が、重すぎる虐待というテーマを「ギャグコメ要素に変換」するという、非常に特殊な作風を生み出しているんです。
「愛さない」宣言は勘違いだった?
物語は、夫ジェラルドがアビゲイルに「君を愛することはない」と宣言する、絶望的なシーンから始まります。
「なんてひどい夫だ!」と誰もが思ったはずですが、実はこれ、ジェラルドの完全な勘違いが原因でした。
ジェラルドがデマを信じた理由
ジェラルドは「血塗れ中将」の二つ名を持つ、生真面目すぎる軍人です。彼が冷たい態度を取ったのには、理由がありました。
アビゲイルの実家が、彼女を厄介払いするために「派手な男遊びに我が儘贅沢三昧」という、事実無根の悪質なデマを流していたのです。
生真面目なジェラルドは、そのデマを鵜呑みにしてしまい、「そんな女性を妻として愛することはできない」と宣言してしまったわけですね。
しかし、この冷遇期間は驚くほど短いものでした。「初対面時のみ」だったとされています。
目の前のアビゲイルの純粋(?)な「ごはん」の心配や、彼女の素顔(デマとは似ても似つかない様子)をすぐに見抜いたジェラルド家の使用人たちの助言により、ジェラルドは即座に自分の誤解を悟り、丁重に謝罪します。
この潔さと切り替えの早さも、彼の魅力の一つですね。
ジェラルドの溺愛と餌付けの真相
誤解が解けた後のジェラルドの変化は、まさに劇的です。
彼はアビゲイルの庇護者となり、その生真面目さゆえに「溺愛」が加速していきます。アビゲイルの純真さと、彼女が置かれていた過酷な境遇を知り、彼は完全に彼女の「沼」にハマっていくんです。
そして、ここが本作のキモです。
ジェラルドは夫としてアビゲイルに「愛」を伝えようとしますが、アビゲイルは愛情表現を理解できません。彼女が明確に喜び、興味を示すのは、もっぱら「ごはん」だけ(に見えます)。
その結果、ジェラルドの愛情表現は「美味しい食事をたくさん与える」=「餌付け」という、非常に具体的な形になっていきます。
この「致命的な認識のすれ違い」こそが、本作を「新感覚餌付けラブコメディー」たらしめている核心部分です。両者の認識がズレたまま、愛情(と食欲)が深まっていく様子が、とにかく面白いんです。
ピヨちゃんと呼ばれる理由とは
ジェラルドがアビゲイルを呼ぶ愛称「ピヨちゃん」。
これはもちろん、ジェラルドがアビゲイルを溺愛するあまり、「小鳥」のように可愛がり、餌付け(美味しいごはん)を与える様子から来ています。
美味しいごはんを前にすると目が輝き、無心で(?)頬張るアビゲイルの姿が、ジェラルドにはヒナ鳥のように見えたのでしょう。
実家への「ざまぁ」展開はマイルド?
「あれだけひどい虐待をした実家への復讐は?」と気になる方も多いでしょう。特に虐待モノからの逆転劇が好きな方は、この点が一番気になるかもしれません。
結論から言うと、「ざまぁ」展開(復讐)は物語中に存在します。アビゲイルを虐待し、デマを流した実家の伯爵家や使用人たちには、相応の断罪が下されます。
ただし、読者のレビューや感想を調べてみると、この「ざまぁ」は「ぬるっとした(マイルドな)」もので、物語の主軸ではない、という評価が多いようです。
『愛さないといわれましても』原作ネタバレと結末
ここからは、物語の中盤以降の展開や、原作小説の結末に関する核心的なネタバレに触れていきます。コミック版(漫画版)はまだ連載中ですが、原作のWeb小説版はすでに完結していますよ。
ドミニク王子の登場と魔王の力
物語は二人のほのぼのした(?)餌付け生活だけでなく、アビゲイルの「元魔王」という設定が関わるシリアスな展開も迎えます。
そのキーマンとなるのが、第四王子のドミニクです。
アビゲイルはドミニクと共に、とある領地の調査に向かうことになります。しかし、そこで彼女は「金瞳の魔物」として領民から攻撃を受けてしまうのです。
そのトラブルの過程で、アビゲイルはこれまで隠し続けていた「魔王としての本当の能力」を使ってしまいます。そして、その力をドミニク王子に勘づかれてしまうんですね。
ドミニクは、彼女の能力や秘密を保持することを交換条件に、アビゲイルに「とある仕事」を持ちかけます。これにより、物語は単なる夫婦のラブコメから、国家や魔王の力を巡るスケールの大きな展開へと発展していくことになります。
最初の友達(転生体)との対峙
ジェラルドからの愛情(と美味しいごはん)を受け、アビゲイルは「ごはん」以外のことにも関心を持ち始め、少しずつ「人間としての情緒」を育んでいきます。
しかし、皮肉なことに、この「成長」こそが、彼女に最大の試練をもたらします。
彼女は、ジェラルドに付きまとう謎の女性と対峙することになります。この女性、実はアビゲイルが魔王だった時代に「最初に仲良くなった子供」の魂の転生体である可能性が示唆されています。
情緒の獲得がもたらす試練
魔王時代、情緒が欠如していたアビゲイルは、その子供がいつしか自分を利用するだけの存在に変わっていたことに気づけませんでした(あるいは、気にしていませんでした)。
しかし、ジェラルドという「愛する人」を得て人間性を獲得したことで、彼女は初めて「愛」を理解します。それと同時に、「自分が実の家族に愛されていなかったこと」や「かつての友達が自分を裏切っていたこと」をも、遅れて理解してしまうのです。
これは、アビゲイルが人間になることの祝福と、それに伴う「穢れ(人間の醜さ)」を知るという、ほろ苦くも非常に重要な成長の描写となっています。
原作小説の最終回、結末まとめ
コミック版はまだ連載中ですが、豆田麦氏による原作のWeb小説版は「小説家になろう」にて結末まで閲覧可能な状態です。
原作小説の最終回に関するネタバレです。
アビゲイルはジェラルドから女性として深く愛され、彼女自身もジェラルドを「特別な人間(飼い主、そして夫)」として強く認識するようになります。二人は夫婦として「様々な初めてを体験していく」ことになります。
最終回では、魔王でもなく、虐待されていた頃の無感情な状態でもない、「少しだけ人間らしくなったアビゲイルの姿」が描かれます。
特定の大きな事件が解決して終わる、というよりも、アビゲイルが人間としての愛と感情を獲得したことが示され、「これからもジェラルドと共に幸せな人生を歩んでいくのだろうな」と読者に想像させるシーンで幕を閉じるようです。
彼女の内面的な成長をもって「完結」とする、テーマに沿った非常に綺麗な結末と言えますね。
読者の感想や口コミ
SNSやレビューサイトでの読者の感想を調べてみると、やはりその独特な世界観にハマる人が多いようです。
やはり、重い設定とコメディの絶妙なバランス、そしてジェラルドの「溺愛」と「餌付け」のギャップが高く評価されているみたいですね。
漫画はコミックシーモアで読む
この『愛さないといわれましても』ですが、石野人衣先生によるコミカライズ(漫画版)がモンスターコミックスfで連載されています。
原作の雰囲気を見事に再現していて、特にアビゲイルの無表情(からのご飯への執着)や、ジェラルドの溺愛(からの餌付け)のギャップが、絵で見ると破壊力抜群です。
漫画版をまだ読んでいない方、どこで読むか迷っている方には、「コミックシーモア」がおすすめです。
※最新の配信状況やキャンペーン詳細は、コミックシーモア公式サイトにて必ずご確認ください。
『愛さないといわれましても』ネタバレ総括
今回は、『愛さないといわれましても』の核心的なネタバレ、アビゲイルの正体から原作の結末までを解説しました。
「愛さない」=「ごはん抜き!?」という衝撃の誤解から始まった二人の関係が、「溺愛」と「餌付け」という歪(いびつ)ながらも最高に幸せな形に落ち着いていく、まさに新感覚のラブコメディでしたね。
重い虐待設定がありながらも、主人公が「元魔王」であることでそれをコメディに昇華し、読者を惹きつける。そして、そんな彼女が少しずつ「人間」になっていく過程を、夫の溺愛(餌付け)と共に描く。
この絶妙なバランス感覚が、本作の最大の魅力だと私は思います。
この記事が、あなたの疑問を解消する手助けになれば幸いです。





