普段はマンガの感想を中心に書いている私ですが、今回はあまりに話題になっていて、つい手に取ってしまった小説『推しの殺人』についてです。
…いや、もう読後の衝撃がすごすぎて。なんというか、読み終わった後に「面白かった!」と素直に言うのをためらうような、重いものが残りませんでしたか?
この記事を検索してくれたあなたも、もしかして「推しの殺人」のネタバレが気になって、「真犯人は誰なの?」「やっぱり小山内が怪しい?」あるいは「どんな叙述トリックが使われているの?」と、その核心を探しているところかもしれません。
もしくは、すでに読み終えて「あの結末はひどい」「正直、胸糞悪い…」という感想を抱え、その答え合わせや他の人の感想を探しているのかも。あの衝撃的な結末や、スケープゴートにされた佐々木が一体どうなってしまったのか、そして何より犯人である小山内の常軌を逸した動機など、色々と考えさせられ、モヤモヤするポイントが多い作品かなと思います。
この記事では、そんな『推しの殺人』の核心的なネタバレ(犯人、トリック、結末)について、私の感想も交えながら、前回よりもさらに深く、ガッツリと解説していきますね。
記事のポイント
- 真犯人の正体と歪んだ動機
- 読者を欺く叙述トリックの全貌
- 「胸糞」と言われる衝撃の結末
- 無実の佐々木と小山内のその後
ジャンプできる目次📖
「推しの殺人」ネタバレ:犯人とトリックの核心
まずは物語の根幹、つまり「誰が犯人なのか?」そして「私たちはどう騙されたのか?」という、犯人とトリックの核心部分からネタバレ解説していきます。この作品の評価は、ほぼ全てこのセクションに集約されていると言っても過言ではないですね。
真犯人は小山内?その正体と動機
多くの方が薄々感づいているか、あるいは「まさか」と思っているかもしれませんが、結論から言います。
『推しの殺人』の真犯人は、主人公であり語り手である「小山内(おさない)」です。
そう、あの熱狂的に「のあ」を応援し、彼女の死を心から悲しみ、真相を突き止めるために素人探偵のように奔走していた、私たち読者がずっと感情移入し、信頼しきっていたあの小山内こそが、のあを殺害した張本人でした。
では、なぜ彼は愛する「推し」を、自らの手で殺害しなければならなかったのか?
その動機は、金銭や怨恨といった分かりやすいものではなく、「歪んだ独占欲」と「裏切られたという一方的な失望」という、究極に自己中心的なものです。
小山内にとって、アイドル・のあは「清純で、誰のものでもない、永遠の推し」でなければなりませんでした。彼はのあの全てを把握し、管理し、それが自分の人生のすべてだと信じ込んでいました。
しかし、彼はある日、その完璧なはずの「推し」のあに、秘密の恋人(一般人男性)がいるという事実を突き止めてしまいます。
小山内の視点では、この事実は許しがたい「裏切り」でした。自らの「完璧な推し」が、自分ではない「ただの男」と関係を持ち、「穢(けが)された」と感じたわけです。
叙述トリックの巧妙な仕掛けとは
本作のミステリとしての評価を決定づけているのが、この「犯人=小山内」という真相を、物語の最終盤まで読者に隠し通した「叙述トリック」です。
これはミステリの手法でいう「信頼できない語り手(Unreliable Narrator)」という、非常に古典的かつ強力なトリックですね。
具体的には、以下の構造になっています。
- 読者は、物語の全てを主人公「小山内」の一人称視点(彼の主観)を通じてのみ体験します。
- 私たち読者は、「主人公(語り手)は犯人ではない」「主人公は私たちに嘘をつかない」という暗黙の前提で物語を読んでしまいます。
- 作者は、この読者の「思い込み」や「心理的バイアス」を巧みに逆手に取ります。
小山内は「自分は犯人だ」とは決して語りません。それどころか、読者に対して非常に雄弁に、のあの死を「悲しみ」、犯人に対して「怒り」を表明し、「必ず真相を究明する」と宣言します。私たちは、その言葉や感情を、何の疑いもなく「被害者(ファン)としての純粋なもの」と受け取ってしまいます。
しかし、真相(小山内=犯人)が分かった後でこれらの描写を読み返すと、全ての描写の意味が180度反転します。
例えば、
- 小山内の「悲しみ」:
(読者の解釈)→推しを失った悲しみ。
(真相)→自らの手で「完璧な推し」を終わらせてしまったことへの陶酔と、彼女を「永遠」にした達成感。 - 小山内の「怒り」:
(読者の解釈)→推しを殺した犯人への怒り。
(真相)→のあを「裏切らせた」恋人や、のあの「純粋さ」を理解しない世間に対する身勝手な怒り。 - 小山内の「真相究明」:
(読者の解釈)→推しの無念を晴らすための捜査。
(真相)→警察や他のファンが真実(=自分の犯行)にたどり着かないよう、偽の犯人(佐々木)へと捜査を誘導する「隠蔽工作」。
このように、全ての描写が二重の意味(ダブル・ミーニング)を持つように計算され尽くされているんです。読者はまんまと、犯人自身の視点で、犯人が構築した偽りの現実を追体験させられていたわけですね。
「騙された」と感じるトリックの構造
「なるほど、トリックは分かったけど、それってアンフェアじゃない?」と感じる人も多いと思います。私も最初は「え、そんなのアリ?主人公が嘘つくなんて!」って思いました(笑)。
読者が「騙された」「ひどい」と感じる最大の理由は、小山内が「捜査」と称して行っていた行動が、実際には全て「偽装工作」であり「答え合わせ」だった点にあります。
小山内が「発見」する証拠は、全て小山内が「仕込んだ」証拠です。彼が「推理」する内容は、全て彼が「知っている事実」に基づいています。
ただし、このトリックが「賛否両論」でありながらも一部で「フェアだ」と評価されるのは、真相に繋がる伏線もしっかりと(気づきにくい形で)散りばめられているからです。
伏線①:警察も知らないはずの情報
小山内は、モノローグの中で、警察発表や報道では出ていないはずの、のあの部屋の内部構造や、当日の服装、遺体の状況について「想像」や「推測」として語るシーンが何度もあります。
読者は「熱心なファンだからこそ、推しのことを深く理解し、想像できているんだな」と好意的に解釈してしまいます。
しかし、真相は、彼が犯人であり、その場にいたのだから「知っていて当然」の事実を語っていたに過ぎません。
伏線②:「捜査」の不自然なほどの順調さ
小山内は素人のはずなのに、彼が「怪しい」と目をつけた人物(佐々木)が、驚くほどスムーズに「犯人」としての証拠(ストーカー行為の履歴、アリバイのなさ)が揃いすぎます。
読者はこれを「主人公(小山内)の『推しへの愛』が推理を冴えさせている」とか、「物語のご都合主義的な展開だな」と解釈しがちです。
しかし、真相は、小山内が事前に「犯人」として佐々木を選び、その人物像に合わせて外堀を埋めるように偽装工作を行っているため、順調に進んで当たり前だったのです。
伏線③:タイトルの意味
最大の伏線は、この『推しの殺人』というタイトルそのものでした。
被害者の「のあ」と歪んだ愛情
ここで、物語の核となる二人の人物、被害者「のあ」と加害者「小山内」の関係性について、もう少し深く掘り下げてみます。
被害者である「のあ」は、人気アイドルグループ「アステリズム」の不動のセンターであり、小山内の「推し」でした。
しかし、小山内が信じていた「完璧で清純なアイドル・のあ」という姿は、彼の妄想によって神格化された「虚像」に過ぎませんでした。
実際ののあは、秘密の恋人がおり、アイドルではない「一人の人間」としての幸福を掴もうとしていた、ごく普通の女性でもあったわけです。彼女も悩み、恋をし、普通の生活を望んでいました。
小山内は、その「人間らしさ」の側面(=恋人の存在)を知った時、それを「裏切り」と断罪しました。彼は「アイドル・のあ」という虚像だけを一方的に愛し、生身の「人間・のあ」の人格と人生、彼女が選んだ幸福を、完全なエゴイズムで踏みにじったのです。
彼が殺人を「救済」と信じ込んでいる点こそが、小山内の愛情がいかに歪んだ「支配欲」であり、「自己愛」の暴走であったかを物語っています。
| 登場人物名 | 表向きの役割・設定 | 真相・真の役割 |
|---|---|---|
| 小山内(おさない) | 物語の主人公・語り手。 推し(のあ)を殺された被害者(ファン)。 真相を追う素人探偵。 |
真犯人。信頼できない語り手。 のあを殺害した実行犯。 歪んだ独占欲から「救済」と称して殺害。 |
| のあ | 本作の被害者。 主人公の「推し」。 清純で完璧なアイドル。 |
被害者。 秘密の恋人がおり、人間らしい幸福を求めていた。 小山内の歪んだ理想の犠牲者。 |
| 佐々木(ささき) | のあを狙っていたストーカー。 小山内の捜査線上に浮かぶ最有力容疑者。 |
無実の人物。 小山内の偽装工作によって犯人に仕立て上げられたスケープゴート。 |
利用された佐々木の無実
そして、この物語で最も悲惨で、救いのない人物が「佐々木」です。
彼は、小山内の「捜査」によって突き止められた、のあに執拗につきまとっていたストーカーとして描かれます。
しかし、彼は完全に無実です。殺人はもちろん、ストーカー行為とされるものも、小山内によって誇張され、あるいは警察にリークされることで「狂信的なファン」というレッテルを貼られたに過ぎません。
佐々木は、小山内によって巧妙に仕立て上げられた「スケープゴート(生贄)」なのです。
小山内は、のあ殺害以前から、のあに執着する他のファンとして佐々木の存在をマークしていました。そして、犯行後、のあの私物の一部(ヘアブラシや使用済みのハンカチなど、DNAが付着していそうなもの)を現場から盗み出します。
その後、佐々木の部屋に不法侵入し、それらの「証拠品」を隠匿します。
準備が整った段階で、小山内は「捜査」と称して佐々木の存在を「発見」し、匿名で警察に「佐々木が怪しい」「ストーカー行為をしている」と通報します。これにより家宅捜索が行われ、小山内が仕掛けた決定的な「証拠」が発見され、佐々木は逮捕されてしまいます。
佐々木が「ストーカー」として断罪される展開は、現実社会でも起こりうる「レッテル貼り」の恐ろしさを感じさせます。実際、ストーカー事案は社会問題であり、警視庁の発表(ストーカー事案の概況)などを見ても、その相談件数は依然として高い水準で推移しています。こうした社会的な関心の高さを、小山内は自らの偽装工作に悪用したとも言えますね。
「推しの殺人」ネタバレ:結末と胸糞考察
物語の核心がわかったところで、次に「なぜこの作品がここまで物議を醸すのか」、その理由である衝撃の結末と「胸糞悪い」と言われるポイントについて、さらに深く考察していきます。読了後のモヤモヤの正体は、きっとここにあります。
衝撃の結末とエピローグのその後
物語の結末は、多くの読者が望む「正義の勝利」とは真逆の、最悪の形で「事件解決」を迎えます。
小山内が仕掛けた「証拠」が決め手となり、佐々木は法廷で有罪判決を受け、無実の罪で投獄されます。世間は「やはり狂信的なストーカーの犯行だった」と納得し、事件は(表向きは)完全に幕引きとなります。のあの秘密の恋人も、ショックや様々な事情から、真相を語れないまま姿を消します。
そして、真犯人である小山内は…。
一切疑われることなく、法による裁きも社会的制裁も受けることなく、平穏な日常生活に戻ります。
物語の最後、エピローグで描かれるのは、事件から数ヶ月(あるいは数年)が経ち、自室でのあの祭壇(遺影)を飾り、それを眺めながら穏やかな表情で紅茶を飲む小山内の姿です。
彼のモノローグは、もはや「悲しみ」や「怒り」ではなく、「達成感」と「歪んだ満足感」に満ちています。
「誰も、本当のあなた(のあ)を知らない。私だけが知っている。誰も、本当の私を知らない。あなただけが知っている」
このエピローグが示すのは、「正義は行われず、悪は罰せられず、狂気は日常に潜み続ける」という、徹底したニヒリズム(虚無主義)です。小山内は「永遠の推し」を「自分だけが独占している」という歪んだ幸福感に浸りながら、これからも生きていくのです。
この結末は、本当に一切の救いがありません。勧善懲悪や、せめてもの救いを期待して読むと、精神的にかなり大きなダメージを受ける可能性があります。読後にスッキリしたい人には絶対にオススメできません。
なぜ「胸糞」「ひどい」と評価される?
本作が「胸糞悪い」「ひどい」と酷評されがちな理由は、大きく分けて二つあると私は思います。この二重構造が、読者に強烈な不快感を植え付けるんですね。
理由①:動機の究極的な身勝手さ
一つは、セクション1でも触れた「犯行動機」です。
「推しが自分の理想と違った(=恋人がいた)から、自分の理想のまま永遠にするために殺す」
これほどまでに自己中心的で、被害者の人格を無視した動機があるでしょうか。多くの読者は、この動機に全く共感できず、理解することすら拒絶したくなり、ただただ強烈な不快感と嫌悪感を抱くことになります。これが「胸糞悪い」の直接的な原因です。
理由②:結末の「救いのなさ」(不正義の完全勝利)
二つ目は、今しがた解説した「結末」です。
多くのミステリやエンターテインメント作品は、たとえ過程がどれほど悲惨であっても、最終的には「悪が罰せられ、正義が勝つ」か、少なくとも何らかの「救い」や「希望」が提示されることで、読者は物語を読み終えた安心感を得ます。
しかし、本作の結末は、その期待を真っ向から裏切ります。
- 真犯人(小山内):罰せられず、歪んだ幸福の中で生き続ける。
- 無実の人間(佐々木):全ての罪を着せられ、人生を奪われる。
- 被害者(のあ):殺された上、その死の真相も名誉も回復されない。
この「不正義の完全勝利」という結末は、私たちが物語に期待する倫理観や道徳観を根底から否定するものです。この「どうしようもない救いのなさ」が、読了後に重くのしかかる「胸糞悪さ」の正体ですね。
賛否両論を呼ぶ読者の感想まとめ
まさにその「胸糞悪さ」ゆえに、本作は読者評価が「傑作」か「駄作(あるいは酷い)」に真っ二つに分かれる、典型的な「賛否両論」作品となっています。
評価が分かれるポイントを、読者の視点で整理すると以下のようになります。
「否」(アンフェア・胸糞)派の意見:
「主人公の小山内にずっと感情移入していたのに、最後の最後で裏切られた」「読者の信頼を利用したトリックはアンフェアだ」「結末が救いなさすぎて胸糞悪い、不快だ」「この読後感はひどい」という感想です。読書体験として「騙された」というストレスと、倫理的な不快感が強く残るパターンですね。
「賛」(フェア・傑作)派の意見:
「ミステリとして非常に巧妙だ」「伏線はしっかり張られており、小山内の異常性に注意深く読めば気づけたはずだ」「読者の思い込みこそが最大のトリックであり、それを逆手に取った作者の技術がすごい」「この救いのなさが逆にリアリティがある」という感想です。ミステリ好きや、物語の構造分析が好きな人、倫理観を揺さぶられる体験を好む人ほど高く評価する傾向があるかもしれません。
結局のところ、この作品は読者に対して2つの裏切りを仕掛けてきています。
- 知的な裏切り: 叙述トリックによって、読者は「信頼していた語り手」に知的に「騙される」。
- 倫理的な裏切り: 結末によって、読者は「信じていた正義」に倫理的に「裏切られる」。
この「二重の裏切り」によって、読了後に残るのは爽快感ではなく、重い不快感と「一体何だったのか」という問いです。この強烈な「爪痕」を残す読書体験こそが、本作を単なるエンタメの枠を超えた「問題作」たらしめている理由なんでしょうね。
犯人 小山内の異常性を再考
最後に、もう一度だけ犯人・小山内の異常性について考えてみたいと思います。
彼が最も恐ろしいのは、自らの行為を「犯罪」ではなく「救済」であり「永遠の愛の形」だと本気で信じ込んでいる点です。彼の中には「罪悪感」が一切存在しないのです。
物語の最終盤、彼が犯人だと明かされる瞬間のモノローグ、
「私が、あなたを永遠にしてあげたんだ」
「これで、あなたは永遠に私だけのものだ」
といった言葉には、後悔や反省の色は微塵もありません。あるのは、自らの「完璧な計画」を成し遂げ、理想の「推し」を手に入れたという、歪みきった達成感だけです。
彼は、自らの歪んだ理想のために、他人の人生(のあと佐々木)を平然と破壊し、それを「愛」と呼びます。
この「狂気」が、決してフィクションの中だけではなく、私たちの日常のすぐ隣に潜んでいるかもしれない…そう感じさせるところに、この物語の本当の、そして一番タチの悪い怖さがあるのかもしれませんね。
「推しの殺人」ネタバレの全貌まとめ
今回は、『推しの殺人』の核心的なネタバレについて、犯人、トリック、そして結末の胸糞ポイントまでを、前回よりさらに詳しく解説してきました。
全貌を改めてまとめると、
- 真犯人:主人公の「小山内」。彼が語り手。
- 動機:推し(のあ)への歪んだ独占欲と、彼女に恋人がいたことへの一方的な「裏切り」への失望。
- トリック:「信頼できない語り手」を用いた叙述トリック。小山内の「捜査」は全て「偽装工作」。
- 結末:犯人の小山内は罰せられず、無実の佐々木が投獄される「不正義の完全勝利」という救いのない幕引き。
という、非常に後味の悪い、しかし強烈なインパクトを残す物語でした。
これはもう、単なるミステリの枠を超えて、読者の倫理観や「愛」とは何か、正義とは何かを問い詰めてくるような、間違いなく「問題作」ですね。
もし未読で、このネタバレを読んでも「逆に読みたくなった」「どれほどのものか確かめたい」というチャレンジャーな方がいれば、ぜひコミックシーモアなどでチェックしてみてください。マンガ好きの私も、この小説には完全にノックアウトされました。
ただし、読了後の精神的ダメージはかなりのものなので、読むタイミングは選んだ方がいいかも…(笑)。
この記事で紹介した内容は、あくまで私個人の解釈や感想を多く含んでいます。感じ方は人それぞれですので、ぜひあなた自身の目で、この衝撃的な物語を体験してみてくださいね。







