炭治郎が正月に舞っていた神楽——あれが実は、戦国時代にただ一人だけ極めたとされる剣技そのものだった。『鬼滅の刃』の設定の中でも、ここは知った瞬間に物語の見え方が変わってしまう部分です。日の呼吸には壱ノ型から拾弐ノ型までの12の型があり、その先に番号を持ちながら固有の名前を持たない拾参ノ型が待っています。竈門家に伝わったヒノカミ神楽との関係、無惨戦で炭治郎がたどり着いた円環の意味、そして黒死牟の月の呼吸との対の構図。この記事では、型の一覧を先に示したうえで、その一つひとつがどう物語につながっているのかを順番にほどいていきます。作品全体の流れから確認したい方は、鬼滅の刃のあらすじ全編まとめもあわせてどうぞ。
記事のポイント
- 日の呼吸の12の型を名前と読みつきで一覧できる
- ヒノカミ神楽が日の呼吸そのものである理由が分かる
- 拾参ノ型が新技ではなく円環だという仕組みをつかめる
- 月の呼吸との対の関係と始まりの呼吸の位置づけが分かる
この記事には原作終盤・無惨戦までの展開に触れる内容が含まれます。アニメではまだ描かれていない範囲もありますので、先の展開を知りたくない方はご注意ください。
まずは答えから。複数の資料で名称が完全に一致している12の型を、読みつきで並べておきます。番号順に眺めるだけでも、太陽にまつわる言葉がずらりと並んでいるのが分かるはずです。
| 型 | 型名 | 読み |
|---|---|---|
| 壱ノ型 | 円舞 | えんぶ |
| 弐ノ型 | 碧羅の天 | へきらのてん |
| 参ノ型 | 烈日紅鏡 | れつじつこうきょう |
| 肆ノ型 | 灼骨炎陽 | しゃっこつえんよう |
| 伍ノ型 | 陽華突 | ようかとつ |
| 陸ノ型 | 日暈の龍・頭舞い | にちうんのりゅう・かぶりまい |
| 漆ノ型 | 斜陽転身 | しゃようてんしん |
| 捌ノ型 | 飛輪陽炎 | ひりんかげろう |
| 玖ノ型 | 輝輝恩光 | ききおんこう |
| 拾ノ型 | 火車 | かしゃ |
| 拾壱ノ型 | 幻日虹 | げんにちこう |
| 拾弐ノ型 | 炎舞 | えんぶ |
気づいた方もいるでしょうか。壱ノ型「円舞」と拾弐ノ型「炎舞」は、漢字が違うのに読みがどちらも「えんぶ」なんです。これが偶然でないことは、この先の拾参ノ型の話で効いてきます。
鬼滅の刃の日の呼吸とは?型の一覧
ここからは、日の呼吸という剣技そのものの輪郭をつかんでいきます。12の型がどう並んでいるのか、誰が編み出したのか、なぜそれが竈門家に「神楽」として残っていたのか。そして13番目にあたる拾参ノ型が、実は新しい技ではないという核心まで。順番に追っていけば、断片的に見えていた設定が一本の線でつながるはずですよ。

結論|日の呼吸の12の型一覧表
先ほどの表を、今度は作中で登場した時期の目安つきで並べ直しておきます。番号の順番と登場の順番が一致していない点が、この呼吸の面白いところなんですよね。
12の型の名前と登場の目安
| 型 | 型名(読み) | 登場の目安 | 特記 |
|---|---|---|---|
| 壱ノ型 | 円舞(えんぶ) | 5巻あたり | 炭治郎が初めてヒノカミ神楽として繰り出した型 |
| 弐ノ型 | 碧羅の天(へきらのてん) | 7巻あたり | — |
| 参ノ型 | 烈日紅鏡(れつじつこうきょう) | 9巻あたり | — |
| 肆ノ型 | 灼骨炎陽(しゃっこつえんよう) | 10巻あたり | — |
| 伍ノ型 | 陽華突(ようかとつ) | 12巻あたり | — |
| 陸ノ型 | 日暈の龍・頭舞い(にちうんのりゅう・かぶりまい) | 13巻あたり | 型名が二段構えになっている |
| 漆ノ型 | 斜陽転身(しゃようてんしん) | 18巻あたり | 捌ノ型より後に登場したとされる |
| 捌ノ型 | 飛輪陽炎(ひりんかげろう) | 17巻あたり | — |
| 玖ノ型 | 輝輝恩光(ききおんこう) | 22巻あたり | 登場がもっとも遅い型 |
| 拾ノ型 | 火車(かしゃ) | 9巻あたり | — |
| 拾壱ノ型 | 幻日虹(げんにちこう) | 9巻あたり | — |
| 拾弐ノ型 | 炎舞(えんぶ) | 9巻あたり | 壱ノ型と読みが同じ |
型名そのものは複数の資料で完全に一致していますが、「何巻の何話で出たか」という部分は資料によって記載に差があるため、表では「〜巻あたり」という目安にとどめました。細かい話数まで確定させたい方は、お手元のコミックスで確認していただくのが確実です。
並べてみると、拾ノ型から拾弐ノ型までの後半3つが9巻あたりでまとめて登場している一方、玖ノ型だけが22巻あたりまで出てこない。番号順に習得していく技ではなく、必要な場面で必要な型が引き出されていく——そういう描かれ方をしているのが読み取れます。
円舞と炎舞が同じ読みである意味
表で唯一の「特記」らしい特記が、壱ノ型と拾弐ノ型の読みが重なっている点です。円舞(えんぶ)と炎舞(えんぶ)。文字にすると別物ですが、声に出せば同じ音になります。
これは言葉遊びで終わる話ではありません。最後の型を繰り出したあと、そのまま最初の型へ違和感なく戻れる。つまり12の型が終わりのない輪としてつながる仕掛けが、型名の段階で仕込まれているわけです。この構造が拾参ノ型の正体に直結します。
始まりの呼吸と縁壱
日の呼吸を語るうえで避けて通れないのが、この剣技を編み出した人物です。作中でこの呼吸は「始まりの呼吸」と呼ばれ、あらゆる呼吸法の原型という特別な位置に置かれています。誰が、いつ、どんな状況で生み出したのか。ここを押さえると、後半の話がぐっと分かりやすくなります。
日の呼吸を編み出した継国縁壱
日の呼吸の創始者は、戦国時代の剣士・継国縁壱です。作中の現代パートから見て少なくとも300年以上前の人物とされ、鬼殺隊の歴史の中でも歴代最強と語られる存在。全集中の呼吸そのものを生み出したのも、この人でした。
妻と子を鬼に奪われたことをきっかけに鬼殺隊へ加わり、鬼舞辻無惨を一度は追い詰めています。彼がどんな生涯を送り、なぜ無惨を仕留めきれなかったのかについては、継国縁壱の強さと生涯の解説で個別に掘り下げていますので、人物そのものを知りたい方はそちらへどうぞ。ここでは「日の呼吸を生んだ剣士」という一点に絞って話を進めますね。
無惨が日の呼吸の使い手を狙った理由
縁壱という一人の剣士に、無惨は文字どおり生涯の恐怖を植えつけられました。だからでしょう、縁壱の死後に無惨が取った行動は徹底しています。日の呼吸の型を知る剣士を、片端から殺して回ったのです。
結果として、剣術としての日の呼吸は表向き途絶えたことになりました。呼吸の系統図の頂点にありながら、現代の鬼殺隊には使い手が一人もいない。この空白こそが、物語の後半で炭治郎という存在を特別なものにしていきます。とはいえ、無惨の追跡は完全ではありませんでした。剣士ではないところに、型はひっそり生き残っていたからです。
ヒノカミ神楽として竈門家へ伝承
ここが本記事の結論にあたる部分。炭治郎が父から教わったヒノカミ神楽と、縁壱の日の呼吸は同じものです。名前だけが違う形で、竈門家という一般の炭焼き一家に何百年も保存されていました。なぜそんなことが起きたのか、経緯を追っていきましょう。
炭吉が記憶し舞として残した
竈門家の先祖にあたる炭吉と、その妻すやこ。鬼に襲われていた二人を助けたのが縁壱でした。その縁でしばらく竈門家に滞在した縁壱は、すやこの求めに応じて日の呼吸の型を披露します。そして炭吉は、その12の型をすべて記憶してしまうのです。
ここで押さえておきたいのが、縁壱と竈門家に血縁関係はないという点。これは複数の資料で一致している事実です。才能を受け継いだのではなく、恩義と敬意から型が受け渡された。縁壱は去り際に自らの耳飾りを託し、炭吉はその型を「ヒノカミ神楽」という舞の形に落とし込んで子孫へ伝えていきました。
剣技をそのまま伝えようとすれば、無惨の目に留まったかもしれません。神楽という誰も警戒しない器に入れ替えたことが、結果的に型を守ったわけです。狙ってやったのかどうかまでは作中で明言されていませんが、縁壱が自分の剣技を後世に残そうとしていたこと自体は、恩返しの文脈としてはっきり描かれています。
元旦の奉納として続いた風習
竈門家では毎年元旦に、家族の安寧と一年の無事を祈ってヒノカミ神楽を奉納する風習が続いていました。剣術の稽古ではなく、年に一度の神事。舞い手は代々の当主で、炭治郎の父・炭十郎もこの舞を極めた一人です。
病弱に見えた炭十郎が、舞のあいだだけ別人のような身体能力を見せる——あの描写が何を意味していたのか、日の呼吸の正体を知ったあとで読み返すと背筋が伸びます。そして炭十郎は、正確な型を息子である炭治郎へきちんと伝えていました。何百年も経ったのに、型そのものは寸分違わず残っていたとされています。
名前が変わっても型は同じ
ヒノカミ神楽と日の呼吸は、名称が違うだけで型も技名も同一です。炭治郎が学んだ舞の動きと、後に先祖の記憶を通じて見た縁壱本人の剣技は、まったく同じものでした。
だからこそ、竈門家の誰もそれが日の呼吸だと気づかなかったのは無理もない話でしょう。舞として伝わったせいで、剣術だと誰も思わなかった。この一点が、無惨の探索網をくぐり抜けた最大の理由になっています。「後世へ残すために神楽の形にした」という筋道と、「炭治郎が記憶と鍛錬から本来の姿へ近づけた」という結末。この二つが噛み合ったとき、竈門家の正月の風景がまるごと伏線だったことに気づかされます。
拾参ノ型の正体は円環
日の呼吸は13の型で語られることが多いのですが、では13番目にあたる拾参ノ型とは何なのか。ここを誤解したまま覚えている人が意外と多い部分です。結論から言うと、これは独立した新しい技ではありません。
12の型をつないで円環にする技
拾参ノ型には、他の12の型のような固有の技名がありません。作中で正式名称が明かされていないのです。ではどういう型なのかというと、壱ノ型から拾弐ノ型までの12の型を休みなく連続して繰り出し、太陽のように円環を成すことで完成する型とされています。
ここで効いてくるのが、先ほどの円舞と炎舞の同音でした。最後の拾弐ノ型「炎舞」から最初の壱ノ型「円舞」へ、音の上ではそのまま滑り込める。終わりが始まりに戻る構造が名前の時点で用意されていたからこそ、途切れない輪が成立します。技の数を13に増やしたのではなく、12を閉じることで13番目が生まれる。よくできた設計だと思いませんか。
無惨の12の急所と夜明けまでの足止め
もう一つ、この型には具体的な用途がありました。鬼舞辻無惨の身体には急所が12箇所あり、日の呼吸の12の型がそれぞれ1箇所ずつを攻撃する構造になっている、という説明で複数の資料が一致しています。
つまり拾参ノ型は、無惨の急所すべてを途切れなく打ち続ける技。狙いは倒しきることではなく、太陽が昇るまで無惨をその場に釘付けにし続けることでした。鬼にとって唯一の絶対的な弱点は日光です。夜明けまで逃がさなければ勝てる——そう考えると、12という数字は単なる区切りではなく、最終決戦の勝ち筋そのものだったことになります。
日の呼吸と炭治郎・月の呼吸の関係
後半では、日の呼吸をめぐる二つの関係を見ていきます。一つは炭治郎がどうやって神楽から本来の剣技へたどり着いたのかという流れ。もう一つが、同じ根から生まれながら正反対の道を進んだ月の呼吸との関係です。最後に、日の呼吸がなぜ「始まりの呼吸」と呼ばれるのかという設定面まで押さえておきましょう。

炭治郎が日の呼吸に至る流れ
炭治郎は最初から日の呼吸を使えたわけではありません。水の呼吸を基礎として学び、そこにヒノカミ神楽が加わり、最後に「これは日の呼吸だ」という認識へたどり着く。この三段階を追うと、彼の成長がそのまま日の呼吸の復活の物語になっていることが分かります。
父・炭十郎から受け継いだ型
出発点は、父・炭十郎から教わった舞そのものでした。剣術として習ったわけではなく、家に伝わる神楽として身体に入れていたもの。だから炭治郎自身、それが呼吸法だとは長く気づいていません。
それでも身体は覚えていました。追い詰められた場面で無意識に舞の動きが出てきて、水の呼吸とは明らかに違う威力を発揮する。この「教わっていないのに使える」という不思議さが、序盤から中盤にかけての引きになっていたのを覚えている方も多いのではないでしょうか。
先祖の記憶で見た縁壱の日の呼吸
転機になったのが、先祖の記憶——いわゆる血の記憶を通じて縁壱本人の剣技を見る場面です。炭吉が見た光景が、何百年もの時を越えて子孫の意識に流れ込んでくる。そこに映っていたのは、自分が舞ってきた神楽とまったく同じ型でした。
無惨戦で意識が朦朧とするなか、炭治郎はその12の型を順番に繰り返し舞い続けます。教わった順番ではなく、記憶の中の縁壱がそうしていたように。連続して途切れなく振るううちに、動きが円環として閉じていった——拾参ノ型への到達は、そういう形で描かれたとされています。新技をひらめいたのではなく、本来あった連続動作を身体が思い出した。この違いは大きいと思うんです。
技名の呼び方が変わっていく描写
読者のあいだで語られることが多いのが、物語の終盤にかけて技名の呼び方が「ヒノカミ神楽◯◯」から「日の呼吸◯◯」へ移っていく、という指摘です。炭治郎の中で、家に伝わる舞と縁壱の剣技が完全に一つのものとして重なった証だと読み取れます。
ただし、どの巻のどの話を境に切り替わるのかという線引きまでは、こちらで原典に当たって確認できていません。読者の観察として複数の場で共有されている見方、という受け止めにとどめておきます。気になる方はご自身でコミックスを読み返してみると、なかなか面白い発見があるはずですよ。
月の呼吸との対の関係
日の呼吸を調べていると、必ず並べて語られるのが月の呼吸です。太陽と月、弟と兄、人と鬼。対比の材料がこれでもかと揃っているせいで混同されやすいのですが、成り立ちを押さえれば区別は難しくありません。
黒死牟が編み出した月の呼吸
月の呼吸の使い手は、上弦の壱・黒死牟。その正体は継国縁壱の双子の兄・継国巌勝です。彼はまだ人間だったころ、弟の日の呼吸を習得しようとしましたが、縁壱と同じようには極めきれませんでした。そこから自分なりに再構成して確立したのが月の呼吸だとされています。
つまり月の呼吸は、日の呼吸から派生した別系統。基本の5流派(水・炎・岩・風・雷)と同じ枠に置かれるのではなく、日の呼吸と並ぶ「始まりの呼吸」のグループに分類されることが多い呼吸です。鬼になってからは血鬼術と融合し、衝撃波を伴う斬撃という人間時代とは異なる形態になった、と考察されています。
型の数と発展のしかたの違い
型の数を比べると、日の呼吸の13に対して月の呼吸は拾陸ノ型まで、つまり16。数字だけを見れば月のほうが多くなります。
とはいえ、これは強さの序列ではありません。黒死牟は鬼として数百年の時間を得たからこそ、月の呼吸を独自に発展させ続けることができました。一代で完成した13の型と、数百年かけて増えた16の型。同じ数え方で並べても、意味するところはまるで違います。ちなみに現在まで、黒死牟以外に月の呼吸の使い手は確認されていません。
全ての呼吸の起点という設定
最後に、日の呼吸が「始まりの呼吸」と呼ばれる理由を設定面から整理しておきます。呼吸の系統図を頭に入れておくと、柱たちの技を見るときの解像度が一段上がりますよ。
基本の5流派と孫派生
日の呼吸から直接生まれたのが、水・炎・岩・風・雷という基本の5流派です。さらにそこから枝分かれして、蛇・花・蟲・恋・音・霞・獣といった呼吸が生まれていきました。柱たちが扱う技は、たどっていけばすべて縁壱の日の呼吸に行き着くことになります。
系統の全体像や、それぞれの呼吸が何から派生して誰が使っているのかについては、鬼滅の刃の呼吸一覧と全系統の解説で14種すべてを表にまとめてあります。他の呼吸まで含めて見渡したい方は、そちらとあわせて読むと系統がすっきり頭に入るはずです。
日の呼吸が受け継がれにくかった理由
これほど強力な呼吸が、なぜ現代の鬼殺隊に残らなかったのか。理由は二つあります。一つは前述のとおり、無惨が使い手を狙って潰していったこと。もう一つが、そもそも縁壱と同じ適性を持つ剣士がほとんど現れなかったことです。
日の呼吸をそのまま扱える者がいなかったからこそ、剣士たちは自分に合う形へ組み替えていきました。水が得意な者は水へ、炎が向く者は炎へ。呼吸が枝分かれしていった理由そのものが、日の呼吸の難しさの裏返しだったわけです。系統図の頂点が空席になっていた数百年を思うと、炭治郎が神楽から日の呼吸へたどり着いた意味の重さが伝わってきます。
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鬼滅の刃の日の呼吸に関するよくある質問(FAQ)
Q1. 日の呼吸とヒノカミ神楽は同じものですか?
A. 同じものです。竈門家の先祖である炭吉が継国縁壱の日の呼吸の型を記憶し、神楽舞という形で子孫へ代々伝えてきたものがヒノカミ神楽にあたります。剣術ではなく舞として伝わったため、名前が変わっていただけで、型も技名も日の呼吸と一致しています。
Q2. 日の呼吸の型は全部でいくつありますか?
A. 壱ノ型から拾弐ノ型までの12の型に加えて、12の型を連続させて円環にする拾参ノ型があります。合計13として数えられることが多いですね。ただし拾参ノ型だけは固有の型名を持たず、作中で正式名称は明かされていません。
Q3. 拾参ノ型とはどんな技ですか?
A. 12の型を休みなく繋げ、太陽のように円環を成すことで完成する型です。鬼舞辻無惨の12箇所の急所を連続して攻撃し、太陽が昇るまでその場に釘付けにしておくために、終盤の無惨戦で使われました。新しい13番目の技が増えたわけではない、という点が要になります。
Q4. 日の呼吸と月の呼吸はどんな関係ですか?
A. 継国縁壱の双子の兄・継国巌勝(のちの黒死牟)が、弟ほどには日の呼吸を極めきれず、そこから独自に確立したのが月の呼吸です。基本の5流派とは別枠で、日の呼吸と並ぶ始まりの呼吸として扱われることが多く、型は拾陸ノ型まで確認されています。
Q5. 炭治郎はどうやって拾参ノ型にたどり着いたのですか?
A. 無惨戦のさなか、先祖の記憶を通じて見た継国縁壱本人の型を、意識が朦朧とするなかで順番に繰り返し舞い続けたことで到達したとされています。父から受け継いだ神楽の型と縁壱の剣技が同じものだったからこそ、繋げていくうちに円環として閉じた、という流れですね。
まとめ|鬼滅の刃の日の呼吸
呼吸だけでなく鬼側の設定や作品全体の伏線までまとめて追いたい方は、鬼滅の刃の考察まとめが入口として便利です。炭治郎が最初に基礎として身につけた流派については、水の呼吸の型一覧と使い手の解説で別途まとめています。
ここまで、日の呼吸の12の型から拾参ノ型の仕組み、そして月の呼吸との関係までを追いかけてきました。要点を振り返っておきましょう。
日の呼吸のすごさは、技の威力そのものよりも「残り方」にあると私は思っています。剣士が皆殺しにされても、炭を焼く一家の正月の舞として型は生き延びた。そして何百年も後の子孫が、記憶と鍛錬だけで本来の連続動作にたどり着く。強さの設定というより、受け継ぐことの物語なんですよね。型の名前を覚えたうえで竈門家の正月の場面を読み返すと、あの穏やかな光景がまるごと違って見えてくるはずです。
なお、型の名称は複数の資料で一致が取れたものを掲載していますが、収録巻・話数など細部については資料ごとに記載の差があります。正確な情報は公式サイトをご確認ください。作品の公式情報は鬼滅の刃公式ポータルサイト、告知や続報は公式X(@kimetsu_off)で確認できます。解釈が分かれる部分については、あなた自身が読んで受け取ったものをいちばん大切にしていただければと思います。