賀来ゆうじ先生による『地獄楽』、読み終えました。独特の世界観、魅力的なキャラクターたち、そしてタオという概念が絡み合うバトル…。本当に引き込まれる作品でしたね。2018年から「ジャンプ+」で連載され、2021年に全13巻をもって堂々の完結を迎えました。
しかし、これほどの人気作でありながら、完結から数年経った今でも「地獄楽 最終回 ひどい」という、ちょっとドキッとするようなキーワードで検索する人が後を絶たないようです。
この記事にたどり着いたあなたも、「え、あの名作の結末がひどいって本当?」「何か炎上するような終わり方だったの?」「アニメの最終回のこと? それとも原作の漫画?」と、疑問や不安に思っているかもしれません。
あるいは、ラスボスの結末があっけないとか、終盤が駆け足だったという評価をどこかで耳にして、実際はどうだったのか、核心的なネタバレを知りたい、と思っているのではないでしょうか。
その疑問、すごくよく分かります。何を隠そう…とは言いませんが、私も完結当時は様々な感想を目にして、「一体どれが本当の評価なんだ?」と気になっていました。実は「ひどい」と言われるのには、いくつかの明確な理由と、そして何より大きな「誤解」が混ざっているんです。
この記事では、『地獄楽』の最終回がなぜそのように評価されてしまうのか、原作漫画の本当の結末をネタバレありで詳細に解説しつつ、その評価の真相を徹底的に考察・解明していきます。
記事のポイント
- 「地獄楽 最終回 ひどい」と言われる3つの理由
- アニメと原作漫画の「最終回」の違い
- ラスボス戦が「あっけない」と言われる真相
- 原作漫画の本当の結末(ネタバレ)と生存キャラ
ジャンプできる目次📖
『地獄楽』最終回がひどいと言われる理由

\地獄楽を読んでみよう/
さて、本題です。『地獄楽』の最終回が「ひどい」というネガティブな評価を受けてしまう背景には、大きく分けて3つの明確な要因が考えられます。これらが複雑に絡み合っているのが、問題をややこしくしているんですよね。
特に「アニメ」の終わり方と「原作漫画」の完結が混同されている点は、この作品の評価における一番大きな「誤解」ポイントになっていると私は思います。
「ひどい」評価の3つの理由とは

ネットやSNSで「地獄楽の最終回はひどい」という声を探ってみると、その理由はほぼ以下の3つに集約されるかなと思います。私自身も「なるほど、そこを切り取るか」と納得する部分がありました。
特に1つ目の「アニメ最終回」の件は、原作を未読の方にとっては「え?あれで終わりなの?」「謎が何一つ解決してない!」と困惑する最大の原因になっています。このアニメ1期の区切り方 = 『地獄楽』の完結、と誤認されてしまうことが、「地獄楽=中途半端でひどい」というイメージの大きな要因になっているようです。
アニメ最終回が中途半端だった?

まず、この一番大きな誤解から解いていきましょう。
2023年にMAPPA制作で放送されたアニメ『地獄楽』第1期。その最終回(第13話)は、原作コミックスで言うと5巻の途中あたり、物語の長大すぎる「序章」がようやく終わり、島(神仙郷)の本格的な探索がこれから始まるぞ!という、まさに「これからが本番」のタイミングで区切られています。
当然、多くの謎やキャラクターの背景、天仙の目的などは何一つ解明されないまま終了しています。
そのため、アニメから入った視聴者の方々が「中途半端だ」「画眉丸以外のキャラが浅い」「何も終わってない」と感じるのは、至極当然の感想なんです。むしろ、その評価は正しいとさえ言えます。
幸いなことに、アニメ第2期の制作はすでに決定しています! アニメの物語はこれからが本番。原作の結末まで、しっかりと描いてくれることを期待しましょう。
漫画の結末は駆け足だったのか
次に、原作漫画(全13巻)の終盤に対する批判です。これはアニメとは関係なく、原作をリアルタイムで追っていた読者や、イッキ読みした読者からも共通して聞かれる意見ですね。
実際に、海外のファンコミュニティ(Redditなど)においても、「The ending is kinda rush (ラストが駆け足だったのは残念だ)」といった指摘は共通認識となっているようです。
「ラスボス戦も、もっとじっくり読みたかったな」
具体的には、物語の核心である「タオとは何か」「天仙とは何か」「島の謎」が解明されてから、ラスボスである蓮(リエン)との最終決戦、そして島からの脱出までが、非常にスピーディに(悪く言えば性急に)進みます。
このスピード感によって、一部のキャラクター(特に山田浅ェ門殊現や民谷巌鉄斎など、画眉丸以外の主要人物)の最終決戦における見せ場や活躍が相対的に少なく感じられ、「バトル描写をもっとじっくり読みたかった」「一番カッコいいキャラたちがあっさり片付いた」といった不満が「駆け足」という評価に繋がったと分析できますね。
ラスボス蓮の結末があっけない?
そして、これが「ひどい」「あっけない」という評価の最大の原因であり、最も賛否が分かれるポイントかもしれません。
物語のラスボスは、天仙のリーダー格である「蓮(リエン)」です。
ラスボス・蓮(リエン)の正体と目的
彼女の真の目的は、単なる不老不死の丹の完成ではなく、かつて島に上陸した夫・徐福(じょふく)を復活させることでした。実は、蓮は徐福の妻であり、夫を蘇らせるためだけに千年の時を費やしていた、「愛」に執着した存在だったのです。
最終決戦の展開
最終決戦において、蓮はその圧倒的な実力で画眉丸たちを追い詰めます。山田浅ェ門殊現も反撃によって右腕を失うほどの絶体絶命の状況となります。
画眉丸は、蓮の力の源である夫・徐福の亡骸を破壊しようとしますが、寸前で躊躇します。それは、夫を想う蓮の姿が、妻・結を想う自分自身と重なって見えたからでした。
その隙を突く形で、殊現が徐福の亡骸を破壊し、同時に佐切が蓮の丹田(タオの中核)を切断することに成功します。
なぜ「あっけない」と批判されたのか
問題はこの後です。致命傷を負いながらも画眉丸を殺そうとする蓮に対し、瀕死の画眉丸は「(蓮の気持ちが)結のことが思い浮かんで...どうしても攻撃できなかった」と、敵である蓮の「愛」に共感する言葉を告げます。
この答えを聞いた蓮は、生前の徐福と過ごした日々を思い出し、その永い執着から「救われた」と感じます。最終的に、蓮は自らの力で画眉丸たちを回復させた後、満足したかのように花のように散って消滅していくのです。
「最強の技でぶつかり合って欲しかった」
「なんかご都合主義じゃない?」
そうなんです。つまり、ラスボス・蓮を倒したのは、画眉丸の強力な技や物理的な「力」ではなく、「愛」と「共感」という概念でした。
純粋なバトル漫画として、強敵を「力」で打ち破る展開を期待していた読者層にとって、この「敵の心が救われて自滅(に近い形)する」という結末は、あまりにも「あっけない」、あるいは「肩透かしだ」と感じられました。この「期待したバトル」とのギャップこそが、「ひどい」というネガティブな評価を生む最大の原因となったと考えられます。
原作結末ネタバレ:画眉丸のその後
では、批判点はさておき、原作漫画の「本当の最終回」は結局どうだったのでしょうか。主人公・画眉丸は無事、妻の元へ帰れたのでしょうか?
物語の核であった「主人公・画眉丸は妻の元に帰れたのか?」という最大の問い。
結論から言うと、画眉丸は無事生還し、愛する妻・結と再会を果たします。
これはもう、文句なしの「ハッピーエンド」ですね!
ただし、そのプロセスは単純ではありませんでした。画眉丸の無罪放免は、2つの側面から達成されています。
最終的に画眉丸は「石隠れのがらんどう」としてではなく、一人の人間として妻と生きる道を選び、物語は平穏な結末を迎えます。
『地獄楽』最終回はひどい評価だけじゃない

\地獄楽を読んでみよう/
ここまで「ひどい」と評される理由を詳細に分析してきましたが、もちろんネガティブな評価だけではありません。むしろ、物語全体を通して見れば「本当に良くできたストーリーだ」「泣いた」と絶賛する声の方が多いくらいです。
批判点の裏側には、それを補って余りあるほどの魅力が確かに存在していました。
死亡したのは?主要キャラのその後
あれだけのデスゲームを繰り広げたので、「あのキャラはどうなったの?」と、生存・死亡の結果が気になる方も多いでしょう。多くの犠牲者が出た一方で、生き残った者たちの「その後」がエピローグで明確に描かれたことも、本作がハッピーエンドと評される大きな理由です。
主要キャラクターたちの「その後」を一覧表にまとめます。
多くの犠t牲は出ましたが、読者が愛着を持った主要なメンバーの多くが生き残り、それぞれの道を歩み始めたこの結末は、ファンにとって非常に嬉しいものでしたね。
弔兵衛と桐馬の結末はどうなった?
特に人気が高かった亜左兄弟。「最強」の死罪人・弔兵衛と、その弟・桐馬の「その後」も気になりますよね。
兄・弔兵衛は最終決戦でタオを解放しすぎた影響で身体が崩壊しかけましたが、桐馬や、敵であったはずの天仙・グイファの助けもあって奇跡的に復活。
島を脱出した二人は香港へ渡り、「双龍兄弟」と呼ばれる存在になったようです。エピローグでは、弔兵衛は普段、力の消耗を抑えるために子供の姿でタオを温存しているという、ファンにはたまらない後日談も描かれています。
高評価の理由:秀逸な伏線回収

「ひどい」という評価とは裏腹に、物語全体を絶賛する声も非常に多いのが『地獄楽』です。
「本当に良くできたストーリーで読むほどに面白くなった」
「伏線が複雑なのにストレスなく回収されて、全部腑に落ちた」
特に評価が高いのは、その巧みな伏線回収です。序盤に散りばめられた「島の正体」「タオの概念」「天仙の目的」「画眉丸の妻の謎」といった数々の伏線が、物語後半で一気に解明され、収束していく構成力は、まさに見事としか言いようがありません。
終盤の「駆け足」感という欠点を補って余りある、緻密なストーリーラインこそが、『地獄楽』が高く評価される最大の理由であると、私は思います。
結末はハッピーエンドと評価
本作は「ダークファンタジー」「デスゲーム」というジャンルで括られがちです。確かに、グロテスクなクリーチャーや、登場人物が次々と散っていく容赦のない展開は、そのジャンルの特徴を色濃く反映していました。
しかし、物語の本質は一貫して「愛と生の肯定」でした。
ジャンルの期待とテーマの着地
ここで、先ほどの「ラスボス戦があっけない」という批判に戻ります。
- 「ジャンルの期待」:ダークファンタジーやバトル漫画として、強大な敵を「力」と「技」で打ち破るカタルシスを期待する。
- 「テーマの着地」:物語のテーマである「愛」によって、千年の「執着(愛)」を救い、解放する。
『地獄楽』の最終回は、前者の「ジャンルの期待」よりも、後者の「テーマの着地」を優先しました。
だからこそ、「ひどい」という評価は、主に「ジャンルの期待」を裏切られたことによるもの。一方で「秀逸」という評価は、「物語のテーマ」がブレずに一貫して描かれたことに起因します。
作者の賀来先生は、ジャンルの慣習よりも、ご自身が描きたかったテーマを貫き通したと言えるのではないでしょうか。だからこそ、多くの犠牲が出たダークな物語でありながら、読後感は非常にポジティブで温かい「ハッピーエンド」として、多くの読者に受け入れられています。
総括:『地獄楽』の最終回はひどいか
さて、ここまで「地獄楽 最終回 ひどい」という評価の真相を、様々な角度から考察してきましたが、いかがでしたでしょうか。
結論として、私は『地獄楽』の最終回は決して「ひどい(=駄作)」ではないと断言します。むしろ、グロテスクでダークな世界観の中で、伏線を見事に回収し、一貫して「愛」というテーマを描き切った、秀逸なハッピーエンドです。
ネガティブな評価は、その王道すぎるほどのテーマへの着地が、作品の持つ外見(デスゲームやグロテスクなクリーチャー)とミスマッチを起こした結果生じた「期待外れ」の感情なのだと、私は結論付けます。
アニメ1期だけを見て「ひどい」「中途半端」と感じた方は、それは物語の序章に過ぎませんので、ぜひ全13巻の原作漫画を読んで、画眉丸たちの物語の本当の結末を見届けてほしいです。
原作は「少年ジャンプ+」の公式サイトでも一部読むことができますし、コミックシーモアなどの電子書籍サイトで、お得なキャンペーンを使ってイッキ読みするのがおすすめですよ。
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